3.11
あの日から4年がたちました。
あの日私は、高校2年生の入試やすみでした。
二階の部屋で一人テレビを見ていると携帯&テレビから聞いたこともない音が……。その瞬間家が揺れだしました。
怖かった。誰に連絡すればいいのかもわからずパニックに。
当時、心配事やパニックになると過呼吸になっていた私…その時もなりそうでした。でも、一階に祖父母がおりここでなったら尚更迷惑をかけてしまう。自分がしっかりしないとと思いなんとかおさえました。
地震がおきてから30分〜1時間した頃に母と連絡がとれその後も神奈川にいた姉、父からも連絡がきて落ち着くとともに涙が出てきたのを覚えてます。
怖かったし辛かった。
津波は、こない地域でしたが少しの間一人でいるのが嫌だった。
もっと辛い思いしている人は、たくさんいるのに弱い自分に情けなかった。
あの日から4年。
今私は、保育士として神奈川で働いてます。
子供たちに何が伝えられるだろう…。
そして現地の人に何をしてあげられるだろうと考えながら過ごしています。
何も変わっていない地元。
なのに周りの人からみたら被災地という括りにされ原発の地域と見られてしまう。
福島は、いわきは、何にも変わっていません。みんな前を向いて進んでいます。